#12 パリのオーラの下で

 世界のリーダーを自認する超大国の、しかもその本土を襲った同時多発テロ―。世界中を震撼させた2001年9月11日の衝撃を、ここパリの人々は比較的クールに受け止めたように見える。
 無論、なかには、今度は凱旋門やエッフェル塔、ラ・デファンスの高層ビル群や“未来都市”ラ・ヴィレット、パリ一番の摩天楼・モンパルナス・タワーなど、パリを象徴する建造物が標的にされる番だなどと本気で言い出す人もいることはいる。が、私が話を聞いた大半の人は、口々に恐ろしいことだと言いながらも、その口調はどこか解説めいていて、皆が皆、驚くほど事情に通じてはいるものの、それは、彼らが聞いたり読んだりしたであろうニュ−スや新聞の報道をなぞるだけであり、そうでなければ、もっとあからさまに傍観者的に、まるで映画の批評か推理小説の謎解きでもするかのようなコメントに終始している。かく言う私自身を含めて、反応の多くは事件の当事者でなかったことに胸を撫で下ろすにとどまっていたようだ。
しかし、パリ市内には、事件後、確かな変化が見られる。まず、路上といわず、メトロのプラットフォーム、地下通路などなど、街じゅうのごみ箱というごみ箱に蓋がされた。幾年か前、爆弾テロがこの街を襲った直後にこの街を訪れたときと、まさに同じ光景である。これは、ごみ箱に仕掛けられる爆弾を恐れての処置だが、ただでさえ平気で路上に物を捨てる人の多いこの街なのに、こうされると、日頃は多少でも街の美化に敏感な人々もごみ箱が使えなくなり、今度は街じゅうにごみが溢れ出す。メトロでは、一日中、「安全のため、持ち物は身の回りから離さないように」「不審物を見つけたら係員に届け出るのをためらわないで」と放送しつづけていて、この放送は「みんなで用心しあいましょう」と、相互監視を呼びかけて終わる。

街には警官があちこちに立ち、彼らが怪しいと判断した人や車を呼び止めては持ち物チェックとなる。だが、彼らが目をつけるのは、いわゆる「テロリスト風の人」であって、スリなどの“小物”には用がないらしく、おかげでスリは仕事がしやすいのか、エッフェル塔観光の拠点・トロカデロでは、少年少女の窃盗団の姿が以前にも増して目に付くようになった。
 私の住むマレ地区は、16〜18世紀の古いパリの面影と、現代風の洒落たブティックやカフェが同居する界隈であり、ファッショナブルなゲイたちがたくさん見られる街としてファッション雑誌をにぎわせるとともに、シナゴーグも多く、たくさんのユダヤ人が居住している地域でもある。事件当日、この辺りはやはり普段とは違い、ある種騒然としていたし、事件以来、集団で行動するユダヤ人の姿が多く見かけられる。これは、以前にはなかった光景には違いない。
 私が、この事件の報道を見聞きして真っ先に懸念したのは、この、パリという人種の坩堝での、人種間の憎しみの顕在化だった。もうすでに、アメリカ本国ではアラブ人襲撃事件が相次いで起こっていると言われる。10人のうち9人までもが、武力をもって報復せよと政府の尻を叩き、戦争を鼓舞するアメリカ人と同じ気質を、ここパリの住人が持っているとはとても思われないが、それにしても、複数の出身地の人々がモザイク状に暮らすこの街のことだ、文化や習慣の違いから来る潜在的な嫌悪感は互いに持っているに違いないし、それが憎悪となって一気に噴き出し、ここそこで排斥だの抗争だのといった暴力沙汰が起きてはたまらないと危惧していた。だが、幸いなことに、今のところそういった事件があったとは聞かない。ユダヤ人の多く住む地区にあるアラブ人の経営する食品店も、いつもと変わらない様子で商売を続けているし、5区のジュッシウ駅近くにある、パリでいちばん美味いクスクスを食べさせると評判のレストランも、連日人でいっぱいだ。
 考えてみれば、パリの人々が最も苦手とするものが「集団行動」なのだった。それは、この街で行われるロック・コンサートに行き、そういう場所に集う人々のノリの悪さに接すれば分かることだが、フランス人は、一丸となってひとつの方向に突進するということをほとんどしない。映画作りにあっても、彼らとシナリオを共同で執筆するなど土台無理と感じることはよくあったものである。それは、生粋のパリジャンやパリジェンヌの属性というわけでなく、この街の持つマジックとでも言うのか、パリにやってきてしばらく滞在すると、どこの国籍を持つ人でも染まってゆく「パリ人気質」とでも言い得るものだ。謹厳実直な日本人もドイツ人もスイス人も、パリの滞在が長い人は皆、よく言えばおおらか、悪く言えばいいかげんなムードを身につけてゆく。そんな“パリ人”の性格が、目下のところ、この街での新たな悲劇の発生を回避するのに一役買っているのかもしれない。メトロのスピーカーがいくら相互監視を呼びかけても、そういうことに最も不器用なのがこの街の人々なのだ。
 とはいえ、パリでも1968年の「5月革命」のときには、学生や知識人、労働者がひとつになって世界に波及するムーヴメントを起こしたのだし、地元のプロのサッカー・チーム、パリ・サン・ジェルマンの試合でのサポーターたちの応援風景は、やはりそれなりに統制の取れたものだ。いざとなれば団結して事に当たれる能力はあるのに違いないが、それが悪い方向に向かわないとは誰も断言はできない。この街の個人主義容認の側面をこよなく愛するこちらとしては、「パリ・マジック」がいつまでも続くよう祈りつつも、見守るしかないのが辛いところだ。
 暴力は新たな暴力を生むだけ、と語るマドンナの言葉はもっともなのだし、もうこのあたりで復讐や仕返しなどという円環をどこかで断ち切る術はないものだろうか。個人的には、争いや憎しみとは無縁に、淡々と日々を過ごしてゆけたら、と思う。人々が、国家という幻想からも、宗教や民族という囲い込みからも自由になれる社会が、理想と言えば理想なのだろうが、それを言っても始まらないのなら、せめて、隣人と自分との違いを認め、上手に共生できるようになりたいものだ。そうできるヒントが、ここパリに住む、様々な出自の人々の暮らし振りに見つかるような気がする。
たとえば、今回の事件を報道する新聞記事をはさんではアメリカ人旅行者と穏やかに意見を交し合うアラブ人の食料品店の主人や、また、移民によるスリの現場を捉えても、自分の財布を取り戻しさえすればことさら警察沙汰にするわけでもないフランス人の婦人などを見ているとき、その思いはいっそう強くなる。今まで背負ってきたものや拘りを何の衒いもなく捨て去り、自分が変わることを恐れさせない何かが、パリには確実に存在する。いわばパリのオーラとも言うべきものの下で、人は軽やかに「平和共存」を実現してゆくかのように。