#11 カフェ・ドゥ・パリ=パリ・ドゥ・カフェ

 フランスを知性とエレガンスの国の代表のように崇め、そしてパリをその中心と位置付けて、パリの高尚なあるいは高級なイメージに闇雲に憧れる人もよもやそうはいないと思うが、それでも、この都市の文化度の高さには、素直に敬服せざるを得ない。
このエッセイでとりあげてきた施設や催しの充実ぶり、果てはブティックやレストラン、公園の多さとその綺麗なことには心から感心させられる。だが、パリにおいて「文化」と言うからには、忘れてならないのは「カフェ」だろう。パリ文化が「カフェ」という場を発祥の地としているのは確かなことだし、何より、ここパリに住む人にとって、カフェはなくてはならない「生活」という文化活動の一部なのだ。
パリの左岸はサン・ジェルマン・デ・プレ地区にある、超が付くほど有名な二つのカフェ、「カフェ・ドゥ・フロール」と「レ・ドゥー・マゴ」から話を始めよう。ボーヴォワールとサルトルが「フロール」をサロンや応接間のように使っていた、あるいは、それらカフェの向かい側にある「ブラッスリー・リップ」でヘミングウェイは小説の執筆をしたなどという少々手垢にまみれたカフェ賛歌をここで持ち出すのはためらわれるが、実際、それらのカフェには、現在も「文化」的な仕事につく人や「文化」的雰囲気に浸りたい観光客で、常にいっぱいなのである。

 たとえばある昼下がり、華やかなサンジェルマン・デ・プレ・大通りに面した「ドゥー・マゴ」のテラス席では、TVのプロデューサーが監督と打ち合わせをしている。その向こうでは誰もが知っている映画女優がランチを食べているが、周りの客も、それと知りながら別に騒ぎ立てるわけでもない。一方「フロール」の2階に足を運ぶと、児童文学作家が一心にパソコンに向かっており、新進のアーティストは、隣の本屋「ラ・ユンヌ」でたった今買ってきたばかりの画集に見入っている。この二つのカフェでは、よくTVや映画の撮影も行われている。
 店内を中国の賢人の人形二つが見下ろす「ドゥー・マゴ(ドゥー・マゴとは、二つの人形の意)」のSALLE(=サル、室内という意味)は天井が高く、広々として気持ちがよい。また、窓の外を花で飾られた「フロール(花と豊穣と春の女神の名)」の2階は静かで、読書に耽るにふさわしい落ち着いた雰囲気だ。

 どちらのカフェのギャルソン(ボーイ)も、動きがきびきびとしていて、まさにプロフェッショナルの趣だし、客がカフェ・エクスプレス一杯で何時間粘っても、彼らは眉毛一つ動かさない。とはいえ、他のカフェでは13フランが相場のカフェ・エクスプレスが、「ドゥ・マゴ」「フロール」「カフェ・ドゥ・ラ・ペ」といった有名カフェではその倍以上するとなると、庶民の我々としてはこうした有名カフェにはそう毎日は足が向かないのも事実だ。
 大体、パリの住人は、一つや二つはお気に入りのカフェというものを持っているものだ。気に入ったカフェを見つけられると、そのカフェとは長い付き合いになる。引っ越し先を決めるにも、新居の近くにサンパな(感じのよい)カフェがあるかないかは重要なポイントのひとつである。いくら物件がよくても、周りに気の利いたカフェがひとつもない場所には引っ越したくないという声も少なからず聞く。
ではそのサンパなカフェ探しは、ということになるが、ここパリではそれは難しいことではまったくない。街を歩けば、1ブロックにひとつは気に入ったカフェが見つかるだろうし、賑やかな地域なら、道の両側にほんの何メートルおきかでカフェが林立していたりするからである。ぴんときたら、中に入る、もしくは歩道に張り出して椅子を置いてあるテラス席につくと、ギャルソンが注文をとりにやってくるので、そこでオーダーすればよい。

さて、カフェの店内には、カウンターと椅子席がある。カウンターとは、いわゆる「立ち飲み」である。カウンターのメリットは、まずその値段だ。何を飲んでも店の椅子に座ったときのほぼ半額になる。またカウンターではサーヴィスも早いので、時間がないときに一杯ひっかけるような場合にはちょうどよい。カウンター越しに交わされる、カフェの主人やバーテンダーと客とのやり取りには、いつも仲間同士の親密なムードが漂っている。いかにもアルコールの好きそうな人が昼間からカウンターにはりついて、おいしそうにちびりちびりとやっているのをつぶさに見ることもまた楽しい。特に小さいカフェでは、カウンターとほんの申し訳程度のテーブル席といったところも多く、こういうカフェでは、客全体が店の常連という感じで、まさに地域と密着したカフェのありようを実感できる。店内にゲームマシン(懐かしのフリッパー)を置いていたり、馬券やLOTO(宝くじ)を買えるカフェもあり、カフェでそれらに熱中している人も多く見かける。

一方、カフェで店内やテラスの椅子席に座った場合は、もう急ぐことはない。じっくりと、心ゆくまで、カフェの空間を独占すればよい。いったん座ったら、パリのカフェではコーヒー一杯で一日座っていても何も言われない。カフェでの過ごし方は人それぞれである。本を読む、手紙を書く、友達とのおしゃべりに興じる、はよくある光景で、そのほか持参した写真の束に見入っている人、通りを往来する人を観察する人、目を瞑って日光浴する人、見つめあったりキスしたりしている恋人たち、何もせず、何も考えていない人、持参したお菓子を食べている人もいる。ただ、新興のカフェなどに入ってしまうと、この「コーヒー一杯で何時間も」という原則が守られないときもある。そういう店では、長居をすると露骨に嫌な顔をされるし、ひどい時には追い出されたりもする。だが、世の中のせちがらいムードを反映しているかのようなこういうやり方は、パリのカフェには似つかわしくないせいか、そんなカフェはあくまで少数派である。

入るカフェを、店の名前で決めることもある。「レ・フィロゾーフ(哲学者)」とくれば、どんなメニューがあるのか覗いてみたい気になるし、「レ・ゼディター(編集者)」では内装にどんな工夫が凝らされているのか興味が湧く。ちなみに後者のカフェに入ってみたら、室内に本棚がしつらえられており、そこにある本をテーブルに持ってゆき読むことができた。いかにも読書好きが多いパリで受けそうなアイディアである。

このように、パリのカフェは様々な表情を持つ。この街に住む人にとって、カフェは、時には書斎の機能を果たし、時にはダイニング・ルームとなる。また別の人にとっては寛ぎの空間だろうし、またある人にとっては創作のインスピレーションを得る場所でもあるだろう。カフェとは孤独になることのできる空間であり、また同時に他人とのコミュニケーションを持つにふさわしい、開かれた討論の場でもある。カフェで瞑想し、思索し、観察をする、あるいは人と会い、歓談し、議論を交わす。このことから、どれだけ豊かな文化が育まれてきたことか。

さて私自身にとっても、カフェにおける友人たちとのお喋りが作品に与えただろう影響の深さは計り知れない。このように創造的・刺激的な時間をカフェという独特な空間に持つことができる、これもまた、パリ生活ならではの悦びである。