|
#10 自由・パリ
「パリなんてフランスじゃない」と、パリに住む多くのフランス人は言う。フランスの地方からパリへやってきた彼らにとって、私のような外国人がことあるごとに口にする‘パリ至上主義’とも取れよう発言は、なんとも苦々しいものらしい。
「キヨシはバカンスには発たないのか」と訊かれて、「パリが好きだからね。夏の間も面白いことがいっぱいあるし。ここを離れて、どこかフランスの田舎に行こうとは思わない」などと答えようものなら、「フランスの本当の良さは地方に行かなきゃ分からない」と始まって、自国は農業国であるからイナカこそその産業の中心なのだとか、彼らの故郷は大都会のパリに比してどんなにか「人間的」であるかとか、あるいは、今の時期、パリにはツーリストしかいないなどとあげつらったのちに、彼らからは冒頭の「パリなんて・・・」という常套句が飛び出すのである。パリ生まれでパリ育ち、いわば生粋の都会人であるパリジェンヌやパリジャンたちは、我々のやりとりをクールな微笑とともに見守っているばかりだ。
だが、「日本じゃない」都市・東京からやってきた者にとって、「パリがフランスではない」ことは、いとも簡単に納得できてしまい、そのような言い回しには何のエスプリも感じられない。大都会というものは、どこもそういうものなのではないだろうか。
ニューヨークはアメリカではないし、ロンドンもイギリスではなかろう。また、ベルリンはドイツじゃない。ローマも、アムステルダムも、もはやイタリアではなくオランダでもないだろう。その都市の所属する国家の特色から限りなく離れてゆくこと、そして突出し先鋭化した文化圏を形成してゆくことが、メガロポリスのメガロポリスたる所以なのだ。そう考えると、巨大都市間に通底してくるものも、ほのかに見えてくるように思える。
実際、パリに暮らしてみると、かつて東京でしたのと同様の経験をすることがよくある。役所や銀行、郵便局ではいやというほどの待ち時間を味わい、外食もバカ高く、特別美味いものもないうえ、栄養の偏りが気になるメニューばかりだ。自分の部屋に帰っても、隣の部屋の声が驚くほどよく聞こえる壁の薄さゆえ夜中の入浴を控えたりの気遣いをさせられるが、そうかといって、その隣近所の人々の顔を見たことがない。自分も含めその建物の住人全部が、外国人だったりする。
何年か前、この国の首相だった人が、日本人は兎小屋に住んでいるなどと揶揄したことがあるが、こと住宅事情に関しては、パリもそう威張れたものではない。パリ在住の日本人なら、誰もが部屋を見つけるまでの苦労話に事欠かないだろう。
日本人向けのフリーペーパーや日本書籍専門店、日本食材店などの告知で空き部屋を見つけて電話するも「もう決まりました」と言われることがほとんどだし、フランス人向けの不動産新聞に食指を伸ばして大家とコンタクトを試みても、こちらが外国人であると悟られたが最後、色よい返事はまずもらえない。「口コミが一番」と留学用ガイドブックは言うが、そう簡単にこちらの住みたい地域でよい物件があくことはない。そうこうするうち、部屋探しだけで何ヶ月も費やしてしまう。万策尽きて日本人の経営する日本人専門の不動産屋に足を運ぶが、これらの不動産屋が持っている物件は東京並みに部屋代の高いものばかりだし、仲介手数料も家賃の1か月分以上を請求される。
そんな苦労の末見つけた部屋も、ほとんどが老朽化している。トイレの水は流れが悪く、水道という水道からはのべつまくなしにポタンポタンと水滴が落ちる。天井からは水漏れがし、窓は思うように開かない。一日中、日の光が差さず、鳩の糞が窓を汚す。エレベーターなしの6階の部屋などは、買い物の多い日にはうんざりする。そして、何よりも部屋は狭いのだ。こちらの単身者向け物件では、東京都心のワンルーム・マンションと同等か、もしくはそれより狭い部屋がざらである。また、向かいの部屋などでよく泥棒に入られたり・・・。こうして、入居と同時に次の引越しを考えて暗澹とした気分になるとき、東京で、中心地からそう離れていない場所にリーズナブルで快適な部屋を探すために同様の経験を強いられたことを思い出す。国は異なっていても、東京と同じように大都市での部屋探しはそう簡単ではないのである。
が、パリにいて東京を連想するのは、何もこのようなネガティヴなきっかけばかりでは勿論ない。街を歩いていて、ふと、かつて東京でもこれと同じ道を歩いたことのあるような既視感にみまわれることがある。先日も、サン・ルイ島の小道を歩いていたら、打ち水をした歩道の様子に銀座の裏路地を思い出してしまった。多少強引ではあるが、パリの街角と東京のそれを対応させてゆくのは、そう難しいことではない。
高級ブティックが軒を並べるモンテーニュ大通りは銀座通りだろうし、新宿副都心はこちらで言えばラ・デファンスといったところか。シャンゼリゼを表参道になぞらえ、サン・ジェルマン・デ・プレを青山界隈にたとえるのも、ドン・キホーテ的な過ちと失笑を買うわけではないに違いない。若い人でごった返す、ちょっと不穏なレ・アルの雰囲気は池袋そのものだし、ピガールの猥雑さは歌舞伎町に匹敵する。私は、つい最近カルチエ・ラタンからマレ地区に越してきたのだが、それとてお茶の水の学生街から江戸の香りを今に残す根津にやってきたようなものだと説明すれば、通りも良いだろう。
こうして見れば、生活のレヴェルでは、東京からパリに場所を変えても、変えたその瞬間から、戸惑うことはありえないと思う。衣食住どれをとっても、パリで東京流を押し通すことはいともたやすいことなのだ。
それなら何も苦労をしてまでパリに滞在していなくてもよさそうなものである。なぜパリなのか。パリと東京を隔てる決定的な違い、私をパリに繋ぎ止める最大の理由をここで考えてみる。誰もに言わずにはいられない、その理由とは、東京では体験したことのない大きな自由がパリにはあるからなのだ。
一例をあげよう。「東京の山の手線内の大きさ」と形容されるパリは、実際には東京の街よりずっと狭い感じがする。パリは夜間の交通網が完備していることで、「夜になっても遊びつづけ」ることに何の躊躇もいらないし、危険を敏感に察知して、それを事前に回避する術さえ心得ていれば、真夜中に一人で歩いて帰宅してもそう危険な目に遭うものでもない。実際に真夜中に歩いて帰るのが好きな女性を私は幾人か知っているし、メトロで4〜5駅の距離なら、深夜バスを待たずに歩いてしまうのも、パリでは普通のことである。
対人関係においても、この自由さは顕著だ。ものをつくる仕事をしている私たちにとって、人との出会いは後年の仕事を左右する重大事である。特に映画の場合、一人で全作業をするのは不可能である。撮影から上映まで、必ず誰かとの共同作業となるため、監督はそうしたパートナーをどこからか得なければならない。共同作業の相手は、気心の知れた、同時に確かな技術を持った人物であることが重要となってくるのだが、もちろんこうした人材探しには誰もが苦労する。そんなとき、知り合いの知り合いの、そのまた知り合いなどという希薄なネットワークでも、パリでは思いがけずに良い人材と出会えたりする。こちらでは、友人の紹介で初めて会った人ともひとたび握手を交わしたとたんに打ち解け、すぐに仕事の話に入ることができ、とにかく話が早い。こういう場合でも、双方の国籍はまったく関係ない。こうした職業上での気軽さも、東京ではなかなか実現できないことと思う。
パリには、今まで私がこのエッセイで繰り返し述べてきた通り、さらに「映画となると話はどんなところからでも始まる」土壌があるのだが、この自由さは、様々な人が様々な文化を持ち寄るコスモポリタンな都市・パリの属性ゆえだろう。
|