#4 BIOでヘルシー&ウェルシー

 昨年暮れから今年にかけて、ヨーロッパのほぼ全域を、この土地の食文化を一変させてしまいかねない嵐が吹き荒れた。狂牛病である。「ウシ海面状脳症」という正式な名を持つこの病気が人間に感染しうると報道された瞬間、人々の間にパニックが起こった。ここフランスでも、人間の感染例として「クロイツフェルト・ヤコブ病」の報告が日毎に増えるにつれ、まず英国産の牛肉の輸入が禁止され、ついで国内産牛にも感染が見つかると牛肉の売上は一気に40パーセントも落ち込んだ。世紀を渡ってしまったこの悪疫は今も衰えを見せず、そしてここにきて、新たに口蹄疫の爆発的な流行である。こちらは人間にはうつらないとされているものの食肉に与える印象は最悪で、業界はふたたび大打撃を被った。こうして肉食離れがパリの人々の間に広がり、精肉店よりも鮮魚店に行列が出来るようになった。
 だが、食肉、特に牛肉はこちらの大多数の人々にとっては主食で、そうは簡単に「食べずに済ます」というわけにはいかない。人々の志向が一時的には魚や鶏肉へ宗旨変えされても、実は鶏にも狂牛病の原因・プリオン入りの餌が与えられていたわけだし、魚にしたところで養殖中に投与される薬物が人体に無害とは言い切れない。そう考えると、もはや我々人間にとって、安全に食べられるものなど何もないではないか。いったいこれから我々は何を食べたらよいというのか――とにかく今回の狂牛病禍は、人々の間に「食」を見直す機会を与えたことは確かである。

 さてそんな今、俄然脚光を浴び出したのが、BIO(ビオ)食品なのである。BIOとはBiologique(ビオロジ―ク)の略で、「有機農法の」、ひいては「農薬や化学肥料を使わない」といった意味の言葉である。もともとフランスではBIO産業は優良産業であり、ここ10年でもっとも伸びた業種のひとつである。BIOの食品には古くからの固定客、いわゆるファンがおり、彼らがBIOを愛する理由も「美味しい」、「BIOを食べていれば病気にかからない」、「BIOを食べれば病気も治る」、などさまざまであるようだ。
ちなみにフランスでは、原材料の95パーセント以上を有機農法(Agriculture Biologique)による作物で占めている加工食品には「AB」マークをつける権利が与えられる。そしてこのあたりのチェックは、「ECOCERT」という政府が認可した機関が厳密に行っている。
 さて、このBIO食品、近頃では日常的にも本当に手に入れやすくなった。ごく普通のスーパーであるMONOPRIX(モノプリ)や、Casino(カジノ)、Champion(シャンピオン)などでも、「AB」マークのついた製品は何かしら置いてあるのだが、このごろは何よりもBIO製品のみを扱う専門店が街のあちこちに出現しているのである。

また、パリにはBIOの農作物や加工食品のみを扱うBIO MARCHE(ビオ・マルシェ=ビオ市場)も数か所に立つし、BIO食品のみを食べさせる自然食レストランも数多い。さらにそれらの情報を満載した、BIO食生活をつつがなく送るためのガイドブックまで発行されている。初体験してみたい向きにも、その入り口はかなり広いのである。
ではとりあえず、BIO専門店に足を踏み入れてみよう。どこの店でも、店内すべてに生活に必要なありとあらゆるBIO製品が並んでいるのには、まず誰もが圧倒されるだろう。野菜・パン・米などの日用食料品はもとより、砂糖や塩・胡椒の調味料、化粧品やシャンプー・石鹸・タオル、浴用製品などの入浴グッズ、またワインや茶などの嗜好品、菓子類などは選ぶのに困るほど、すべてBIO製品が豊富にそろっている。豆腐や味噌・醤油もあるし、ときには納豆が置かれていたりもする。こういったBIO専門店が近くにあれば、パリにいても日常の「健康生活」にはまったく支障はきたさないだろう。
が、私としては、パリを訪れる皆様には、ぜひBIO MARCHE(ビオ・マルシェ)に足を運ぶことをお勧めしたい。私の住む5区に近いところでは、7区のラスパイユ大通りに立つビオ・マルシェが有名だ。高級住宅街である7区に立つせいもあってか、このビオ・マルシェの客層は富裕な感じの人が多く、噂によると大女優カトリ―ヌ・ドヌーヴも姿を見せるとか。
懸案の肉類も、ここでなら安全なものがもちろん見つかる。こちらの肉はBIOの餌のみを食べて育った家畜のものなので、狂牛病とは無縁ということなのだ。
さてこのビオ・マルシェ、近頃は、以前からの顧客にもまして、ニューカマーが増えている。観光客らしい日本人の姿もめっきり増え、彼らは朝早くからマルシェの広場で、焼き立てのガレット(お好み焼きのようなもの)やキッシュ(おかず入りのパイ)を食べながら野菜や果物を物色して歩いている。
 このビオ・マルシェには、見た目は悪いが野菜・果物などは旬のものしか置かれない。これら商品の値段は高く、スーパーの商品と比較すると値段は確実に2倍、ものによっては3倍したりする。が、何といっても、BIO製品はどれも味が違うのだ。たとえば野菜なら、人参は人参の、トマトはトマトの、苺は苺の、「そうそう、これらはこういう味だったのだ」と思い知らせてくれる、実に濃厚で素材本来の味がするのである。
 私にとっても、ビオ・マルシェへの思い入れは深い。日本にいた頃から自然・無農薬食品を愛用していた私は、パリにきてすぐラスパイユのビオ・マルシェに通い出したのであるが、思えば私の映画に主演してくれた俳優と出会えたのもここビオ・マルシェだったし、アーティストの友人と出会ったのもここだった。毎週日曜日の朝にビオ・マルシェに行くことは、そうした友人たちと出会い、買い物の帰りに近くのカフェでおしゃべりや情報交換するという貴重な習慣ともなっている。日ごろ、食べることには無頓着な、フランス文学を研究する友人に一度このマルシェで買い物をするように勧めてみたところ、彼も今ではすっかりBIO野菜の虜となってしまったほどである。
 食生活のみにとどまらず、生活全般にわたって私の活動を豊かにしてくれるこのマルシェ通い、たとえ肉類の疫病問題が解消されたとしても、私にとっては週一度の貴重な時間である。この豊かなビオ・マルシェ通いを、もう止めることはできそうにない。