#3 パパ・タラフマラがやってきた

ミラボー橋の下をセーヌが流れぼくらの恋が流れる

 ギヨーム・アポリネールの有名な詩である。フランス革命時の政治家の名を冠したこの橋に立って、セーヌ河上流を見やる。遠くエッフェル塔を背後に従えた自由の女神像が見えるはずだ。そのまま美しい絵葉書になる構図の右方、ビル・アケム橋のたもとに、パリ日本文化会館はある。3年前、2005年愛知万博誘致に向けて急ごしらえされたとはいえ、地上6階地下3階のこの建物は、一国の文化会館としては群を抜く贅沢さである。たとえばパリ市内にあるスイスやドイツ、フィンランドなどのそれと比べると、その違いは容易にわかるだろう。またここは、長らくジャーナリストとして活躍した磯村尚徳氏が館長を務めることでも知られる場所である。
ここには、日本人留学生や日本からの滞在者にとって最適の勉強室である図書館があり、また上階には、フランス語字幕つきヴィデオが無料で見られるモニタールームが完備されている。図書館には日本人の姿が多いのだが、モニタールームのほうには、小津安二郎や溝口健二といった名作日本映画や「日本の名所旧跡案内ヴィデオ」が見られるとあって、フランス人来訪者が引きもきらない。
1階受付ではフランス人女性が来訪者を捌いているのだが、全員が流暢な(一部はあやしげな)日本語を操る。売店には日本の民芸品や書籍が置かれ、ロビーのTVは大画面で日本の番組を流していたりと、どこを向いても「日本」を前面に押し出している風が、パリ滞在の日本人としては何やら気恥ずかしかったり、可笑しかったりでやや複雑な思いがする。
 が、ここを見たかぎりで「日本大安売りだ」などと即断するわけにはいかない。この会館にある2つのホールでは、見逃すことのできない映画の上映やダンス、パフォーマンスの公演がよく催されるからである。つい先ごろも、増村保造や日本ドキュメンタリー映画の特集が、パリに住む多くのシネフィル(映画マニア)を動員した。そして、パフォーマンス部門の目玉としては、「パパ・タラフマラ Pappa TARAHUMARA」の公演である。

 「パパ・タラフマラ」は、知る人ぞ知る日本のパフォーマンス・カンパニーといえる存在だが、作品が、ダンスでもなく演劇でもない、両者の融合の上にヴォイス・パフォーマンスや映像、そして印象的なオブジェを駆使した「パパ・タラフマラ的宇宙」としか呼びようのない空間をつくりあげることで注目のカンパニーである。
(パパ・タラフマラのホームページはこちら。日記に筆者が登場する。 http://www.kt.rim.or.jp/~pappa/
今回の演目は『 I Was Born 』。これは、20世紀から21世紀を展望する4部作『 WD−What have we done ?』の第1章で、ドストエフスキーの『悪霊』から想を得ている。20世紀初頭から1920年代までの世界のありようをひとりの女が振り返るという形式を取りながら、11人のパフォーマーの肉体が、時には乱舞し、寸劇を演じ、歌い叫んで、ラ・ベル・エポックの狂熱や不安の時代を表現してゆく。
『WD』の2章以降には、1920年代後半から第2次大戦までを描く『Love Letter』、戦後から現代までの『So What?』そして現代から近未来としての21世紀を題材とする最終章 『The echo of the future silence』が予告されている。全章完結の折には、一夜で全章を通して上演する企画もあり、招聘する劇場も複数あがっているという。実に遠大なスケールのレパートリーで、構想を聞いただけでも今から完結が待たれるところだ。
今回の公演は、パリ日本文化会館・大ホールで3夜の公演だったのだが、204席は連夜満席で、階段を補助席として使用したものの、こちらまであっという間に埋め尽くされる盛況ぶりだった。また、ちょうど同時期に開催されていた「草間彌生展」にも長蛇の列ができていたし、市内のシネマテーク(フィルムライブラリー)で上映中の成瀬巳喜男特集も、毎夜人で溢れた。かように現在のパリでは、日本の文化が大人気を博している。このもてはやされぶりは、先ごろの「フランスにおける日本年」時にあった日本ブームをも凌ぐほどで、回数をおうごとに熱狂ぶりが高まっている。

 さて、私はそのパパ・タラフマラに、今回ことのほか深く関わることになった。公演ヴィデオの制作を依頼されたからである。同カンパニーの創立者にして芸術監督の小池博史氏が、彼らのヴィデオの制作を、こちらで配給会社メディアトピアの副社長をしている川喜多清政氏に依頼されたのだが、川喜多氏が私を監督に指名してくれたという訳だ。
このヴィデオ制作のため、まず私は、同じ映画学校出身の友人たちに助監督と制作面での協力をあおいだ。さらに、映像作品を作る上ではどうしても撮影のプロフェッショナルが必要だったので、シネマテークで知り合った衣川太一氏に話を持ちかけてみたのである。
衣川氏は、日大の芸術学部を卒業した後、すでに数本の短編を撮り上げ、撮影監督として活動している方である。私の映画撮影では、ほとんどノーギャラの仕事だ。彼が引き受けてくれる保証はなかったが、話を持ちかけると「あ、いいですよ。やりましょう」とふたつ返事でOKしてくれた。
そんな経過で、私も安心して制作に入ることができたのだが、衣川氏の手腕は予想以上だった。こちらのコンセプトを聞き、あとは黙々とヴィデオを回し続ける。三脚を袈裟懸けに移動をし、鮮やかな手際で映像を撮り貯めてゆく。一連の様子は、長髪を後ろに束ねた風貌とあいまって、まるで快刀を操る青年剣士の如く颯爽としている。ピンと張り詰めた緩みのない構図、対象を逃すことなく追うスムーズなカメラの動きなど、どれをとってもまさにプロフェッショナルで見事な仕事であった。
出来上がったラッシュ(編集前の映像)を主宰者・小池氏と配給・川喜多氏に見てもらったところ、思ったとおり衣川映像のシャープさには両氏ともすっかり魅了された様子だった。その場で川喜多氏は、モンタージュ(編集作業)がうまくいったら各方面の映画祭にかけられるよう尽力する、とまで約束してくれたのである。
映画に詳しい方ならおわかりだろうが、映像を左右するのがモンタージュ。映画がよくなるも悪くなるも、この作業で決まる。ということで、現在は撮影にかかわった者全員で、モンタージュ作業の真最中だ。当初はパパ・タラフマラが国の内外の劇場へ送るPR用ヴィデオとして制作したこの作品、今回のことでもうひとつ、映画祭に向けたヴァージョンを作ることになった。場合によっては、この映画が近々どこかの映画祭で皆様のお目に触れる幸運があるかもしれない。
 テンポラリーな訪問者であるパフォーマンス・カンパニーとの予期せぬ幸福な出会いがやってくるのも、国際都市パリならではのことである。